きっかけは、娘が小学校を卒業する事。
いったい自分は、娘の年に何を考えて生きていたか?

そう思って自分の覚えている一生を振り返ってみた。
出来事はすでに記憶の奥にしかない。
では風景は?
そう思い思い浮かべる。

生まれ育った町は、車で30分くらいのところ。
何かをするために行くが、ほとんど通り過ぎているのみに気づく。
頭の中にある風景と、今通り過ぎるだけの町並み。
町は生きている。少しずつではあるが、どんどん変わっていき後には決して戻らない。

ちょっとじっくり見てみよう。
そう思って生まれ育った町に出かけてみた。

まずは実家。これは親父が死んで売り払い、今は崩して誰かが住んでいる。
近くにある家の半分くらいは、私の記憶にある家々ではない。
記憶にあるところを写真で撮る。
これでとりあえず、自分の過去の記憶を写真として確保。

それから小学校。最近問題になっていて門のところには「関係者以外立ち入り禁止」の文が下がり、門を閉ざしている。
が、土曜日だからと開いている門から入り、学校の色々なところを写真で撮る。
当時3000人以上の生徒が、この学校に通っており、校舎が足りずにプレハブも立っていたが今は運動場になっていた。
が、全部の校舎があり、私の記憶とほぼ同じ。
ただ、講堂は体育館に建て替えてあり、私が知っているものではない。

転校したので次の小学校に向かう。
その途中で、昔住んでいた風呂屋2箇所による。
裏から入って(不法進入しようと思ってました(笑))、久しぶりに中のタイル絵を見ようと思っていたんですが、人が住んでいました。
風呂屋の入り口を見ると、何と風呂屋の名前と親父の名前の字が板に書いてある・・・
死んだ親父の面影をこんな所で。25年ぶりに訪れるこの場所で見つけるとは思いもよりませんでした。
今度バールを持って行き、住んでいる方に事情を話し、この板を頂けないかとお願いをしようと思いました。

裏に回り、釜場で親父の作った釜も見ようと思いましたが、すでにそこには釜場の建物は無し・・・
ちょっと寂しかったです。
次の風呂屋も人が住んでおり、外からのみ撮影。

そうして2箇所、次に通った小学校に行き、最後に中学校に行き思い出の写真の捕獲。
どこもそう変わっておらず、一安心。

しかし人間の記憶のあいまいさを、改めて感じました。
こんなところに砂場があったんだとか、え、こんな所に日時計がなど・・・

距離にしてたった30Km。しかし、時間に直せば25年の月日がたっていました。
これが距離が長いと、一生行けない人もいるんでしょうね。
そう思うと、私は近かったし、時間の重みに気づいたのですごくラッキーでした。

いや~、本日はつまらない話を長々と・・・